目黒で働いています

株式会社Carionsの山下です。

いつか地方でシビレたい

東京にこだわらない働き方とは?

 

先日、ネットサーフィンをしていると興味のある企業に出会った。

 

www.sibire.co.jp

 

”シビレ”というエッジの効いた社名の会社で

 

「東京」という枠にはまらず働く人を増やし、シビレる人とエリアをつくります

  

というHPに掲げられているメッセージを見て強く共感をした。

 

共感した理由は大きく2つで

1つ目は僕自身、いずれ地元である関西に戻って仕事をしたいと考えているからだ。

 

2つ目は”シビレる地方を増やす”という考え方だ。

地方の案件をひたすら紹介するサイトは見たことがあったが、地方で働きたい人に対して企業を紹介するだけではなく地域特有の課題をコンサルティングしたりPRしたりと地域ごと盛り上げていこうといった考え方が素敵だと思った。 

 

実際にお会いしてお話をきいてみた

 

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そんな株式会社シビレさん主催のイベントがあったので参加して

(本当はエンジニア限定イベントだったが快く参加を許してくださった)

実際にCEO豊田さん、COO鈴木さんとお話することが出来た。

 

お二人とお話をする中で3つの発見があった。

1つ目は地方に移住したいという人が徐々に増えてきているということ

2つ目は地方には人を募集している会社が増えているということ

3つ目は 東京で経験を積んだ人は貴重で地方においても重宝されること

である。

その中でも特に3つ目の発見が僕にとって大きな発見だった。

  

いつか地方でシビレたい

 

hatomune163.hatenablog.com

以前、こちらの記事でも書いたが

やっぱりいつかは東京から出たい。

 

東京は本当に楽しい。

色んな人に出会えるし情報の鮮度も高い。

 

でも、だからこそ東京という恵まれた環境で

スキルや知識、仕事での人脈

友人や家族との良好な関係、多様性に富んだ人的ネットワーク、

自分への知識、新しいことへの柔軟性

などを獲得していきたい。

そして東京で獲得したものを武器に関西に戻りたいという思いを

再認識できた日だった。

 

僕もいつか地方でシビレようと思う。

 

真の自己分析の第一歩とは

18卒の就活解禁

 

3月に入って就職活動が解禁された。

街に溢れる就活生を見るたびに

僕は初めてOB訪問に行った時のことを思い出す。

とてもとても苦い思い出である。

 

僕の初めてのOB訪問

 

就活を始めた当初、とりあえず凄そうな企業のOBに会おうと思い

誰もが憧れる大手広告代理店に勤めているPさん(仮名)に

大学のキャリアセンター経由でメールを送った。

 

当時、平凡な学生生活を送っていたため 

社会人にメールを送った経験など無かった。

基礎のキも知らない状態でメールを送った。

 

”無知”ということは本当に怖い。

今となっては1日に50回くらい使う

『お世話になっております』という枕詞はもちろんない。

そもそもお世話になったことがないので

”お世話になっております”なんて発想が出てくるはずがない。

 

恐らく僕のメールは友人に送るLINEの文章に敬語をつけた程度の

相当ひどいメールだったと思う。

 

そのメールに対するPさんからの返信内容はこんな感じだった。

 

・社会人に送るメールにしてはあまりにも失礼すぎる

・まずはメールの打ち方くらい覚えたほうがいい

・会うのはいいけど忙しいから何を聞きたいのか明確にしてほしい

・HPでわかることは調べてから来てほしい

 

メールの打ち方を一切調べずに送っていたメールに対する

返事としては 至極まっとうな返事だった。

それでも初めてのメールでこんな返事が来たから僕は冷や汗をかいた。

 

返事したくないな・・会いたくないな・・いっそ無視しようかな・・

と真剣に思った。

もしくは「すみませんでした!」

とだけ返事すればその人と会うことは一生ないかもしれないとも思った。

 

散々だったフィードバック

 

それでもなぜか会いたかった。

それより”逃げたくない”という気持ちのほうが強かったのかもしれない。

 

僕は会うことを決意して

ビジネスメールの作法をネットで調べて

作った文章を先輩や友人にチェックしてもらい

謝罪の内容とそれでもお会いしたいことを伝えるメールを送った。

すると快く会ってくださることになった。

 

OB訪問の内容は細かく覚えていないが終始僕からの質問攻めだった。

会話の間をどうやって繋げばいいかわからず

とにかく矢継ぎ早に質問を続けた。 

 

「どうやって受かったんですか?」

「志望動機は何だったんですか?」

「学生時代に頑張ったことは何だったんですか?」

といった内容がメインで

その質問の仕方も相当ひどかったと思う。 

その後、自分の志望動機や学生時代に頑張ったことを話した。

 

結果的に僕は完膚なきまでにぼこぼこにされた。

曰く、他にOB訪問に来た就活生と比べて

思考が浅く、学生時代に頑張ったことのインパクトも薄い

とのことだった。

そして”絶対に受からない”と言われた。

その時は”なんでそこまで言われないといけないのか”と悔しく思った。

 

自己認知のきっかけ

 

正直、帰り道は結構へこんだ。

もちろんPさんは僕の人格を否定したわけではない。

あくまでも感じたことを話してくれただけだったのだが

ここまで言われたことはなかっただけに落ち込んだ。

 

でも結果的にPさんとのOB訪問は自分にとって大きなターニングポイントになった。

なぜならそれまで過大評価していた自分に対して失望したからである。

 

客観的な自己を認知するきっかけになったし

就活や将来に対する考え方が甘かったとも思った。

そして何より目指す理想と現実とのギャップに気づく機会になった。

 

真の自己分析の第一歩とは

 

現在の自分の状況を客観的に認知することは強い痛みを伴う。

なぜなら自分の理想と現実とのギャップに向き合わなければいけないからである。

ただ、これが真の自己認知であり、

また、正しい自己認知こそが、自己分析の一歩であると思う。

 

だからこそ今の就活生には

自分にとっては向き合いたくない真実も全て受け入れた上で

真の自己認知をするように心がけて欲しい。

これが社会人3年目を迎えようとする僕からのアドバイスである。

  

P.S.

この出来事は自分にとって大きなターニングポイントだった。

だからこそ就職活動を終えた際に

真っ先にPさんに内定報告メールを送ろうと思った。

就職留年をしたため2年越しでのメールとなったがすごく喜んでくれた。

 

 

地方出身者は就職で東京に上京するべきだ

東京ってほんまにいいな!

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先日、地元である神戸のサッカーチームで一緒だった友人と会った。

彼は今、フリーランスとしてマーケティングの仕事をしている。

新卒で愛知で働いた後、福岡でフリーランスとして独立し

今年の1月から東京に出てきたということだった。

東京に出てきたのなら久しぶりに会おう!ということになり

共通の友人を交えて、新宿で飲むことになった。

 

居酒屋の座席に着いて

「久しぶり」という言葉の次くらいに彼の口から

 

「東京ってほんまにいいな!」

 

という言葉がキラキラとした笑顔とともに出てきた。 

 

彼曰く、東京には福岡より仕事の案件がたくさんあって

困っているお客さんもたくさんいるということだった。 

そして何より、色んな人と会えて刺激的だということだった。

 

東京のなにがほんまにええねん。

僕は生まれ育った関西が大好きだ。

関西弁も関西人の口の悪さも飴をくれるおばちゃんもたこ焼きも大好きだ。

いつか関西に戻りたいとも本気で思っている。

だけど就職のタイミングで東京に出てきて本当に良かったと思っている。

愛してやまない愛犬を実家に残してきていることを差し引いても

まだしばらくは東京にいたいという気持ちが今のところ強い。

 

それでも

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という問いへの答えを明確に言語化できていなかったように思える。 

 

LIFE SHIFTを読んで感じたこと

 

最近、リンダ・グラットンのLIFE SHIFTを読んだ。

読み進めていく中で、

・なぜ就職のタイミングで東京に出てきたかったのか。

・いったい東京に出てきて何が良かったのか。

ということを自分なりに昇華できた。

 

LIFE SHIFTで書かれていることは

僕の友人が簡単に書評を書いているので見ていただきたいのだが

 

ameblo.jp

 

一言で言えば

”寿命が100年くらいに伸びたから柔軟に生きようや” である。

 

中でも”スマート・シティ”に関する記述を読んで僕の考えはすっきりした。

 

2010年、世界全体の都市生活者の数は36億人だった。

2050年にはそれが63億人になると見られている。

これは、毎週130万人が都市に移り住む計算だ。

都市で暮らすこと、とりわけいわば

「スマート・シティ(賢い都市)」に住むことを望む人が増えている。

この点は今後もおそらく変わらない。 

 

と書かれている。

インターネットが発達したことで物理的な距離の重要性が低くなり

好きな場所で働いて暮らすという流れが強くなっていて

”遠さの弊害”はさほど大きな問題ではなくなったが

質の高いアイデアと高度なスキルの持ち主のそばに身を置くことの

重要性が高まっているので

”近さの価値”はむしろ高まっているということだった。

 

なるほどと思った。

  

実際、就職を機に2年前に東京に出てきてから

社内の人だけではなく、社外の人と会う機会を多く持った。

毎週末、ほぼ100%といってもいいほど社外の誰かと会った。

東京ではベンチャーで働いている友人、他業種の友人、起業家など

本当に色んな人に気軽に会うことが出来る。

その経験が僕にとって非常に刺激的であり

視野を広げてくれているなとも感じていた。

 

これこそが僕が東京に出てきたかった理由であり、

東京に出てきてよかったと思うことなんだと気付いた。

 

これからどうするのか。

やっぱりいつかは東京から出たい。

今置かれている東京という恵まれた環境でスキルや知識、仕事での人脈

友人や家族との良好な関係、多様性に富んだ人的ネットワーク、

自分への知識、新しいことへの柔軟性

などこれからの時代に求められるものを獲得したい。

そしてそこで獲得したものを武器に関西に戻りたいと思っている。

人生100年時代、残りの75年間を思いっきり楽しみたい。

 

阪神・淡路大震災から22年

阪神・淡路大震災から22年

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1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災が発生した。

恐らく僕の記憶の中で最も古い記憶だ。

当時3歳だった僕は幼いながらも

”大変なことが起きた”と感じたことを覚えている。

 

地震が起きた時、僕はとても大きな音に気づき目を覚ました。

その瞬間、横で寝ていた父がとっさに覆いかぶさった。

僕は何が起こったのかわからないまま、机の下に逃げ込むように言われて

机の下で待機した。家族に怪我などは一切なかった。

僕が住んでいた神戸市西区は神戸の中でも被害が少なかった。

それでも食器棚の中の物が全て飛び出し、

テレビもテレビ台から転がり落ちていて、

重たいピアノもフローリングにめりこんでいたと聞いた。

 

自宅の窓から、被害が最も大きかった長田区周辺で上がっている

黒くて大きな煙が見えたらしい。

もちろん電車も走っていないので

父は通勤のため、方位磁針を持って自転車に乗り

まるで戦争中の焼け野原のような街を1日かけて通勤したそうだ。

 

しあわせ運べるように

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それから、当たり前のように地震の怖さを教えられてきた。

同時に命の尊さや絆の大切さを教えられた。

小学校では毎年1月17日が近づくと

授業の中で地震についての悲惨な映像を見たり、

被災された方が実際に学校にやって来て、当時の壮絶な話をしてくれたりもした。

本当に様々な地震教育を受けたが

中でも”しあわせ運べるように”という歌が印象的だ。

 

www.youtube.com

 

僕と同世代の神戸で育った人は誰でも歌えるだろうこの歌は

神戸の復興を願った歌である。

 

人生何が起こるかわからない

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僕は綺麗な神戸の街が大好きだ。

正確に言うと綺麗な神戸しか知らない。

被災している現場を自分の目ではほとんど見ていないし、

僕が物心が付いた頃にはもうすっかり綺麗な街だった。

 

それでもそれは当たり前じゃなくて

復興にむけてたくさんの方の支援や努力があったんだと思う。

そして生きたくても生きられなかった人たちが間違いなくいた。

 

東京にいるとつい忘れがちだけれども

故郷である神戸に思いを馳せた1週間だった。

これからも亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこうと思う

 

 

 

自分の心の小さな声に耳を傾けるということ

僕の両耳を支配した会話

喫茶店で本を読んでリラックスしていた。

そこに40代くらいの花子(仮)と雪子(仮)の2人がやってきた。

僕の両耳は花子と雪子の会話に終始支配される。

 

花子と雪子はそれぞれ個人事業主としてフリーで働いている。

あまり詳しくはわからないし、書けないが、

旅行ツアーなどを彼女たちが企画して、

ブログ・SNSで広報+集客して実際に彼女たちが同行するビジネスをしているようだ。

 

花子は悩んでいて、雪子に相談をもちかけている。

花子と雪子が企画するツアーはいつも人気で、

それを聞いた運子という人が「ツアーを企画するから手伝って欲しい。」

と花子に持ちかけた。

花子は乗り気ではなかったが付き合いもあるので

しぶしぶ、ブログでの広報・集客などを手伝った。

しかし結果的に企画は失敗して収益も出ず、骨折り損になった。

花子はこれまでお金をモチベーションにしていなかったものの、

苦労をしたのにお金がもらえなかったことにもやもやしていた。

 

それを聞いた雪子が花子にこんなアドバイスをした。

「もう答えはでてるじゃん。

そもそも、今回の企画を広報する花子のブログには想いが全然乗ってなかったよ。

いつも花子の企画が人気な理由は花子の想いが乗っているからなんだよ。

みんなその想いに共感して、参加したくなるんだよ。

だから自分の心の小さな声に耳を傾けてみなよ。」

 

雪子の結論としては、花子がやりたくないことに手を出したから

モチベーションも上がらず、結果もついてこなかった。

つまり、もうやりたくないことはやらなくてもいい。ということだった。

 

横にいた僕は

雪子の「自分の心の小さな声に耳を傾けてみなよ」

という言葉に心を打たれた。

 

自分の心の小さな声に耳を傾けている人

僕はテレビをほとんどみない。

でもYOUTUBEを見る事が多い。

そして、最近ある1人のYOUTUBERに熱中している。

 ジョーブログだ。

 

www.youtube.com

 

時間のある方は他の動画を見て欲しい。

僕と同い年の25歳の彼はYOUTUBE上に

様々な動画をアップロードしている。

 

アメリカを無一文で横断したり、

スラム街を訪れたり、

南米をバイクで縦断したり

西成のホームレスにお金を渡したりしている。

 

 


【神回】電車内で想いを叫んでみた

 

本当にすごい。

 

僕がこのジョーブログに惹かれる理由はただ一つで

”やりたい”という想いにただ素直に耳を傾けて

自ら実行しているところだ。

 

彼が将来、何になりたいのか、何を目指しているのかはわからない。

政治家かも知れないし教師かもしれない。

けどそんなことどうでもよくて、

彼はひたすら目の前のやりたいことにチャレンジしている。

 

そんな信念が動画から伝わってくるからこそ、

その信念が伝染して、一つの動画あたりの平均再生回数が

約40万回くらいになっているのだと思う。

 

喫茶店で人の話に耳を傾けている場合じゃないと思った。

これから僕は自分の心に耳を傾けて実行していく。

 

雪子、ありがとう。

 

【ブログの目的】銀座で働く163cm.

2017年もよろしくお願いします

新年、あけましておめでとうございます。

 

今回の年末年始は実家である神戸に帰省せず

東京で高校サッカーをひたすら現地観戦するという過ごし方をした。

いつもテレビで見ていた高校サッカーを現地で見れて幸せだった。

初夢もサッカーをしている夢だったので

今年こそは、1年ほど苦しめられ続けている足の親指の巻き爪を治したい。

そしてサッカーがしたい。

 

2017年の抱負

2016年を振り返ると

東京にも仕事にも、もう少し慣れるかなーと思っていましたが全然慣れない。

わからないことと出来ないことだらけで日々自分のしょぼさを痛感していて

今年はもっと精進したいな〜と思う。

 

ということで2017年の抱負は

”巻き爪を治す”にしたい。

 

ブログを書く目的について

2016年の11月末にこのブログを書き始めてから

「毎週、1つ書く」と決めて現在7つの記事を書いた。

その中で友達や先輩、新しく知り合う人とも

ブログについての話をする機会が多くなった。

 

その際に

「そもそもなんでブログ書いてるの?」

「何のテーマで書いていきたいの?」

と聞かれることがとても多い。

 

元々、

その瞬間に感じたことや学んだことを書いていこうかな〜

くらいのふんわりとしたテンションで始めたので

読んでくださっている方からすると

このブログがどのような目的で書かれているのか。

が伝わりづらくなっているんだなと気付いた。

 

ブログを書く目的

ふんわりとスタートしたこのブログだったが

書いているうちに、少しずつ目的が明確になってきた。

 

◯アウトプットの場にしたい

読書をしたり、面白そうなイベントに参加したり

社内外の人と飲みに行ったりする中で様々なことを感じ、学ぶ。

でもそこでインプットした内容ってほとんど実行できなかったり

実行できないどころか忘れたりすることが多い。

せっかくインプットしたことも忘れてしまっては

行動も結果も何も変わらない。

だからこそ、自らへの備忘の意味で

経験や思考、感情を整理してアウトプットしていきたい。

 

そして、そのアウトプットした内容を読んだ誰かが

少し笑顔になったり、考えるきっかけになったり、心に残ったりしたら嬉しいと思っている。

 

 

今後の方向性について

結論、テーマは絞らない。

日々の経験から感じたことや学んだこと、小ネタまで幅広くライトにかいていきたい。

 

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

もしも織田信長が渋谷のベンチャー企業の社長だったら。

 

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明:信長さん。僕、会社やめます。

       もうついていけません。

 

信:なぜだ光秀。

        一緒に天下一を目指そうと約束したではないか。

  それにもう上場は目の前だぞ。

       こんな時にCTOであるお前が抜けては困る。

 

明:もう限界なんです。

 

信:何が限界なんだ?

 

明:信長さんはいつも戦略を1人で決めちゃうし、

       給料安いし。

 

信:給料はごめん。

 

明:それに、

  「俺は桶狭間の戦いでたった5000人の軍隊で
  25000人の今川軍を倒したんだぞ」

    という話を聞くのはもううんざりなんです。

 

信:そうか...

 

明:「俺が日本で初めて鉄砲を使ったんだ!」

  という自慢も聞き飽きました。

 

信:ごめん...

 

明:何より、信長さんが勝手に楽市楽座を始めたせいで

    競合がたくさんできてしまったのに、

    信長さんは気にも留めず、鉄砲の練習ばかりしてるじゃないですか。

 

信:スタートアップだから仕方ないじゃん。

   

明:大企業が類似サービスを出してきたらどうするんですか。

 

信:それは後で考える。

 

明:それでは遅いんです

 

信:ごめん

 

明:ホトトギスの件も許せません。

  僕がオフィスの片隅で大事に育てていたのに、

  ”鳴かないから”という理由で殺しちゃったし。

 

信:ごめん。 鳴くまで待てばよかったよな。

 

明:信長さんはいつもそうです。

  もう限界です。

 

    今まで ありがとうございました。

 

信:待ってくれよ

 

明:もう他のメンバーを連れて辞めます

 

信:勘弁してよ...

 

 

次の日、明智光秀は仲間を連れて、渋谷を後にした。

残された織田信長は上場を目前にして、大切な仲間を失ってしまった。

これが後に 本能寺の変 となる。