目黒で働いています

株式会社Carionsの山下です。

【7万PV】リクルート用語だらけの桃太郎を生かせなかった反省と今後について

反省と今後について

今回の記事はリクルート用語だらけの桃太郎の記事を生かせなかった愚かな自分を

恥じるとともに生かせなかった反省と今後についてをまとめた記事だ。

 

リクルート用語だらけの桃太郎という記事がバズった

 

昨年の12月25日、僕は「リクルート用語だらけの桃太郎」という記事を書いた。

この記事は想像をはるかに超えてバズった。

記事を書いてから、リクルートにゆかりのある人と会うと

必ずと言っていいほど僕の記事の存在を知ってくれていた。

イベントでは "桃太郎の人"と紹介されることもあったし

旅行先で出会った人が僕の記事をたまたま知ってくれていたこともあった。

打ち合わせの場所で『あーあの記事を書いた人か!』ということが50回以上あった。

 

どれくらいバズったのか。

 

実際にどれくらいバズったのか。

PV数は約70000PV

 普段の記事が約1400PVなので今回は50倍の威力だった。

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Facebookのシェア数6652件 はてなブックマーク数209件

 Twitterでもリツイートの嵐

 ”リクルート”と検索するとスクロールすればするだけ僕の記事が出てきた。

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Googleで”リクルート 用語”と検索すると2位に表示

 もちろん”リクルート 桃太郎”だと1位だ。

 

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著名人であるLINEの田端さんがシェア

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NEWSPICKSデビューも果たした

 

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自分でも驚くほどの反響だった。

 

なぜバズったのか。

 

ではなぜこんなにバズったのかを分析してみた。

僕なりにたどり着いた答えは”時期・背景””The リクルートへの共感”

今回のバズの大きな要因だと考えた。

 

・時期と背景

サイバーエージェント用語だらけの桃太郎がFacebookでバズったこともあり

”◯◯用語だらけの桃太郎”が空前のブームだった。

 

・「The リクルート」への共感

世の中のリクルートに対する共通認識の高さが共感を生んだ。

その共感は大きく2種類あり、

リクルート出身の人は自分が載せて欲しい用語を考えたり、

自分なりのストーリーを作って実際にブログのコメント欄で突っ込んでくれた。

リクルート以外の人は「あーこういうやついるわーww」と言いたげな

なんとも言えない気持ちをコメントとして表してくれていた。

この反応を呼んだのも”The リクルート”に対する共通認識が

世間に浸透しているからだと思った。

 

この要素が重なって拡散を生み、大きなバズを生み出した。

 

どうやって作ったのか。

 

きっかけはサイバーエージェントに勤めている親友から

サイバーエージェント用語だらけの桃太郎が流行っているから

リクルート版作ったら?」と勧められたことだった。

すぐに仲良しの10名ほどのリクルートグループのメンバーに

リクルート用語だらけの桃太郎」を作るから

みんなが知っている・使っているリクルート用語を教えて欲しいと言って集めた。

リクルートホールディングス

リクルートジョブズ

リクルートキャリア

リクルートライフスタイル

リクルートコミュニケーションズ

など、幅広いメンバーから驚くほどたくさんのリクルート用語が集まった。

集まったら、その用語をこれでもかというくらい適当に桃太郎のエピソードに当てはめた。

 

反省と今後について

 

長くなってしまったがここからが本題だ。

なぜ今回反省しようと思ったかというと

前職のリクルートスタッフィングの上司と飲んだ時に指摘されたことがきっかけだ。

僕は前職を辞めて独立をした。

しかし、この桃太郎の記事という大きな武器を一切使っていなかった。

リクルート風にいうと

ビル倒しで大量の名刺を獲得したのに営業活動に行っていない。

つまり、自ら機会を損失し、その機会損失によって自らの価値を発揮できないでいるのだ。

しかし今からでも遅くない。

僕はこの武器を最大限に活かす方法を考えた。

 

【20代限定】桃太郎 Night in Tokyo 開催決定!

 

桃太郎というたった一つの武器をこれから最大限に振り回していく。

元々、交流を広げたり将来の仲間を作ることに興味があり

自らそんなイベントを開催し、交友関係を広げてもらいたいと思っていた。

そこで、リクルート用語だらけの桃太郎の武器を生かすためにも

桃太郎と題したイベントを定期的に開催していくことにした。

 

「桃太郎 Night in Tokyo」は20代の起業家やスタートアップで活躍する20代の仲間と

お酒を片手にフランクに語り合えるイベントだ。

すでに決まっている参加者は起業家からスタートアップで活躍している人

総合商社などの人などかなり幅広く、

堅い雰囲気にするつもりは一切ないのでワイワイと交流できたらと思っている。

いつか起業してみたいと思っている人や、幅広い業種の同世代の友達が欲しいなと

思う人は是非きて欲しい。

※注意※

宗教・ネットワークビジネスなど勧誘目的やワンチャン目的はお断りしています。

 

【20代限定】桃太郎 Night in Tokyo

日時:9月23日(土)19:00〜21:00(受付 18:50開始)

会場:N's Garden 1F受付

最寄:代官山駅3分 JR恵比寿駅7分

住所:東京都渋谷区代官山町14−9 ヴァイシャーリー代官山1F

◆お申し込みは下記の画像をクリック(Facebookページに繋がります。)

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著者について

Facebook山下 達也 

経歴:

リクルートスタッフィング出身の26歳。リクルートスタッフィングを2年で退職し

現在はリモート転職という地方から東京へ上京転職する第二新卒の若者に特化した

キャリア支援サービスを個人でやっています。

WEBサイト:https://www.remote-tenshoku.com/

 

「いい会社に就職したねは一瞬」「楽しそうに仕事してるねは一生」

秀逸で強烈なキャッチコピー

 www.huffingtonpost.jp

 

「いい会社に就職したね」は一瞬。

「楽しそうに仕事してるね」は一生。

 

このキャッチコピーを見て、何を感じたか?

強烈な共感をする人、少し後ろめたい気分になる人

いろんな人がいると思う。

 

僕は、このキャッチコピーは

「人」の人生を生きるのか、それとも「自分」の人生を生きるのかを

表しているのだと感じた。

 

「いい会社に就職したね」

こう言われたことがある人は多いだろう。

終身雇用が浸透していた日本において

就職の際の入社する企業の選び方は”安定しているかどうか”が重視され

安定している大企業=いい会社だと認識されることが多い。

ただし、この「いい会社」とはあくまでも親や社会視点での評価であり

自分視点での評価ではないことが多いのではないかと思う。

だから、この「いい会社に就職したね」は他人からの評価が大きく

「自分」の人生ではなく、「人」の人生を生きているように聞こえる。

そして、これはあくまでも内定という”点”を指しているのだと感じた。

 

「楽しそうに仕事してるね」

反対にこちらはどうだろう。

入社した会社の規模や知名度はどうであれ、

置かれている環境を主体的に楽しんでいる人がかけられる言葉だろう。

そういった意味で、「自分自身」が楽しむことができている

つまりは「自分」の人生を生きている人だと感じる。

これは内定という”点”ではなく

働いてからのプロセスを”線”で楽しめる人を指している。

 

何故、楽しめる人とそうでない人がいるのか 

では、これらの違いは一体何なのだろうか。

それは「自分と向き合って、逃げずに自分の本質を理解しようとしたかどうか」

これに尽きると思う。

親や社会視点での評価だけで企業や仕事を選ぶのではなく

「自分自身」が楽しむことができる環境とは一体何なのか。 

そしてその優先順位はどうなのかという

自分自身の価値観に真っ正面から向き合えたかどうかだと思う。

 

どうせなら線を楽しみたい!

ではどうすれば自分の本質を理解できるのか。

 僕は、自己分析をすることが一番の近道だと思う。

 

リモート転職をリリースしてから

転職相談を受ける数がどっと増えた。

 

その中で気付いたことは『とにかく早く転職したい…

と思っている人が意外に多いということだ。

 

ナビサイトで片っ端から応募してみたり

転職エージェントに提示された企業の中から選ぼうとしてしまう。

 

まずは行動してみよう!と考える人は非常に多いのだが

ナビサイトでの応募や転職エージェントへ足を運ぶ前に

思考をはさむ人は実は意外と少ない。

 

そうすると自然と内定をもらうことがゴールになってしまい

入社後に自分がどう働いているのか、どういう環境だったら楽しめるのか

についての思考が後回しになってしまう。

 

このような話を聞くと

自分に合う仕事を学生のうちに見つけておけばよかった…

と思う人がほとんどだと思う。

 

でもまだ間に合うんじゃないか。

 

一度きりの人生、どうせだったら”点”ではなく、”線”で楽しみたい。

 

こういった想いを持っている方の相談も

受けつけていますので是非、メッセージください。

 

そして、なんか面白そうだからとりあえず話したいという方もお気軽にメッセージください。

 

 

Facebook山下 達也 

WEBサイト:https://www.remote-tenshoku.com/

 

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リクルートスタッフィングを退職してリモート転職を始めます

 

卒業と決意 

この度、新卒入社から2年間お世話になったリクルートスタッフィングを退職して

リモート転職という地方から東京へ上京転職する第二新卒の若者に特化した

キャリア支援サービスを個人で始めました。

 

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https://www.remote-tenshoku.com

 

この記事では

◆ なぜリクルートスタッフィングに入社したのか?

◆ 何故たった2年でリクルートスタッフィングをやめたのか?

◆ 馬鹿なのか?

◆ 馬鹿なのに何をやるのか? 

について書きます。見たい人も見たくない人も見てください。

   

何故リクルートスタッフィングに入社したのか

 

僕は苦節2回の就職活動を経てリクルートスタッフィング(以下RS)に入社しました。

なぜ2回就活をしたかというと、

身の程知らず × 世間知らずの馬鹿だったからです。

馬鹿な僕は1回目の就職活動で大失敗をしました。

簡単に言うと自分自身への理解と社会への理解が絶望的に欠如していました。

何がやりたいのか、どんな企業があるのかなどについてほとんど理解しないまま

持病である圧倒的な根拠なき自信をもとに

15社ほどの大手有名企業に絞って就活に挑み見事に「無い内定」を獲得しました。

 

今は笑い話ですが当時は本気で落ち込みましたし、受け入れてくれる企業がないことに絶望しました。

しかし、今思えば失敗して頭を打って本当に良かったと思っています。

 

僕は大学を1年間延長して2回目の就活に突入しました。

何がやりたいのか、どんな企業があり、どんなキャリアがあるのかを知るべく

とにかくたくさんの人と会う機会を作り

様々なインターンに挑戦して自分の実力を知り、仲間を作ることで

社会の広さと等身大の自分を知りました。

  

自己分析を重ねる中で

サッカーサークルを0から立ち上げたり

新しいイベントを自ら企画したり

幼い頃から人を巻き込んで新しい組織を作ったり新しいことをするのが大好きなんだと気づきました。

そして、一度きりの人生だからこそ人が運転するバスに乗りこむのではなく

自分でバスを創りあげて運転したいと思ったのです。

 

明確な軸が見つかってからは少し大きくなったベンチャー企業を中心に受けました。

ある程度資本力があれば新しい事業への積極性があると思ったからです。

いくつかのベンチャー企業から内定を頂きましたが

最終的には全然ベンチャーではないリクルートスタッフィングに入社しました。

その理由は”会社を作る”、”事業を作る”ためには

リクルートという看板の付く企業に入ることで

関わる人の幅が広がるのではないかと思ったからです。

 

入社すぐに感じた猛烈なワクワクと意志を尊重する風土

 

RSに入社してすぐの全社キックオフ(いわゆる総会)で

自身が配属された部署が全社表彰を受けて感動のあまり号泣し、抱き合う姿を見て

”仕事で感動の涙を流せるって最高すぎる!”

と猛烈にワクワクしたことを覚えています。

そしてまた、個人の意志を尊重する風土にも驚きました。

入社したての右も左もわからない僕が

「いつか独立したい」と息巻いて宣言することに対して

上司や先輩、同期は一切、その意志を否定することなく

"独立するためにはRSで何をすればいいのか"を親身になって考えてくれました。

 

また、もっと事業価値を感じたいという思いで

課で始めさせてもらった”ほっこり会”(ほっこりしたエピソードを共有する会)や

部内で事業価値をもっと考える風土をつくりたいという思いで

仲間を巻き込んで立ち上げた”JU会”の活動など

2年目のペーペーの活動を上司や先輩、同期が全力で後押ししてくださり

本当に個人の意志を大切にしてくれる会社なんだと思いました。

 

特に目立った成果も残さず、たった2年で会社を卒業する僕が言うのは生意気ですが、

改めて最高の会社だと思っていますし新卒でこの会社を選んで間違いなかったと思っています。

 

何故たった2年でリクルートスタッフィングをやめたのか 

 

”新しいことをやりたい”という思いを抑えきれなくなりました。

就活後にインターンとして社員2名のベンチャー企業で働かせていただいた経験や

人材コンサル企業のインターンで新規事業コンテストで優勝した経験などを通して

新しい事業を作りたいと思っていたので

1年目の終わりから2年目にかけて

リクルート内で企画されるNew RINGという新規事業提案制度に応募しました。

 

実際に事業化には至りませんでしたが

”事業を作る、考えることはやっぱり面白い”と改めて感じました。

その中で、リクルート内で新規事業をするためには

・100億円以上の事業になる可能性があるか

・何故リクルートがやるのか

が非常に重要だということを知りました。


(New RINGに関してはこちらの本で詳しく書かれています)

 

 

一方、僕は100億円になるかどうかはわからないけど

自らの手で0から事業や会社を創り出したい。

そして生きている価値をダイレクトに実感したいという想いが強くありました。

 

 

上京ならリモート転職

 

これからは「リモート転職」というサービス名で

東京・大阪以外で勤務する大手企業勤務の第二新卒世代の社会人向けに

リモートで転職相談などの上京を支援するサービスを始めます。

なんとなく就職したものの「君の名は」を連想させる僻地での配属だった。

地方はまったりしすぎてて耐えられない。

やっぱり東京でバリバリ働きたい。

と考えて本気で上京をしたいという方に対して

遠隔、つまりリモートで

・そもそも転職する必要があるのか

・今後、どんなキャリアを築いていきたいのか

・強みはなんなのか

・譲れない価値観は何なのか

などを問うキャリアカウンセリングを行ったり

面接で上京してくる際には提携しているシェアハウスを紹介したりと

上京時のフルサポートをしていくサービスです。

 

これからトライアンドエラーを重ねて柔軟に変化させていきたいと思っています。 

 

きっかけ的なサムシング

就活で大失敗した経験から

自分自身や社会への理解の欠如によって選択肢や可能性を狭めてしまう人に対して

可能性や選択肢を広げてその選択に伴走できるような事業ができないかと

日頃から思っていました。

 

そして去年の夏、小学校時代の友人から相談を受けました。

友人は大手製薬会社のMR(営業)として九州の僻地で働いていました。

しかし、地方のまったりした雰囲気に焦りを覚えたことや

限られたコミュニティとの関わりに飽きて、新しい刺激が欲しくなり

東京で働ける会社に転職したい!と困っているという相談をうけました。

そこで僕は自分の知り合いや友人、人事の方を紹介し、

Skypeで相談をしてもらったり

東京に来た時に実際に会う場をセッティングしたりしました。

※コンパもきっちりとセッティングしました。

 

これまで就活生や転職者の相談にたくさん乗ってきましたが

この友人の喜び方は他の方の喜びより大きかったのです。

 

理由を聞くと一斉にスタートする新卒の就活に比べて、

転職は個人で行うため孤独を感じやすい上、

地方で働く人は必然的に関わるコミュニティが狭くなってしまうため

客観的に相談してくれる人の存在がとても貴重だということでした。

 

もしかしてここにはニーズがあるのではないかと思い

去年の8月頃から土日や就業後の時間を利用して約50人のターゲットへ

電話でヒアリングを行い、地道にニーズを探ってきました。

そしてたくさんの方との壁打ちを経てやっと小さく形になりました。

 

求めている人が確実にいる市場だと確信していますし

”上京するならリモート転職”という世界観を必ず作りたいと思っています。

 

気軽にキャリア相談出来る世界観を作りたい

僕はここ半年でMatcherというアプリを使うなどして

約50名の就活生とお話ししています。

しかし僕自身がキャリアについて悩んだ時に相談できる人は意外といませんでした。

困ったときに相談できる相手は仲の良い人だったり家族だったりと

専門的な知識を持っていない場合が多いのではないかと思います。

専門的な知識を持つ人に気軽にアドバイスをもらえるような世界観を作れたら

もっとキャリアについて建設的なアクションをとることが出来て、

もっとステキな世の中になるんじゃないかと思っています。

 

仲間とか仲間由紀恵とか協力してくれる方とかを募集していきます

 

今はひとりなので、法人ではなく個人で進めています。

しかし、折を見て法人にしたいと思っています。

それに伴ってまだ部品もないバスを一緒に組み立ててくれる人を募集しています。

週末からとかでいいので是非一緒に作りましょう!

また、協力してくださるキャリアコンサルタントの方

提携してくださるシェアハウス

転職エージェント様

などを募集しています。

地道に地道に実績を作っていきたいと思っています。

まだまだ整っていないところばかりですが

まずは登録してくれた20名の方に全力で向き合っていきたいと思っています。

もし地方勤務で転職をしたいと考えている友人がいればぜひご紹介ください。

 

 

著者について

Facebook山下 達也 

経歴:

リクルートスタッフィング出身の26歳。リクルートスタッフィングを2年で退職し

現在はリモート転職という地方から東京へ上京転職する第二新卒の若者に特化した

キャリア支援サービスを個人でやっています。

WEBサイト:https://www.remote-tenshoku.com/

 

いつか地方でシビレたい

東京にこだわらない働き方とは?

 

先日、ネットサーフィンをしていると興味のある企業に出会った。

 

www.sibire.co.jp

 

”シビレ”というエッジの効いた社名の会社で

 

「東京」という枠にはまらず働く人を増やし、シビレる人とエリアをつくります

  

というHPに掲げられているメッセージを見て強く共感をした。

 

共感した理由は大きく2つで

1つ目は僕自身、いずれ地元である関西に戻って仕事をしたいと考えているからだ。

 

2つ目は”シビレる地方を増やす”という考え方だ。

地方の案件をひたすら紹介するサイトは見たことがあったが、地方で働きたい人に対して企業を紹介するだけではなく地域特有の課題をコンサルティングしたりPRしたりと地域ごと盛り上げていこうといった考え方が素敵だと思った。 

 

実際にお会いしてお話をきいてみた

 

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そんな株式会社シビレさん主催のイベントがあったので参加して

(本当はエンジニア限定イベントだったが快く参加を許してくださった)

実際にCEO豊田さん、COO鈴木さんとお話することが出来た。

 

お二人とお話をする中で3つの発見があった。

1つ目は地方に移住したいという人が徐々に増えてきているということ

2つ目は地方には人を募集している会社が増えているということ

3つ目は 東京で経験を積んだ人は貴重で地方においても重宝されること

である。

その中でも特に3つ目の発見が僕にとって大きな発見だった。

  

いつか地方でシビレたい

 

hatomune163.hatenablog.com

以前、こちらの記事でも書いたが

やっぱりいつかは東京から出たい。

 

東京は本当に楽しい。

色んな人に出会えるし情報の鮮度も高い。

 

でも、だからこそ東京という恵まれた環境で

スキルや知識、仕事での人脈

友人や家族との良好な関係、多様性に富んだ人的ネットワーク、

自分への知識、新しいことへの柔軟性

などを獲得していきたい。

そして東京で獲得したものを武器に関西に戻りたいという思いを

再認識できた日だった。

 

僕もいつか地方でシビレようと思う。

 

真の自己分析の第一歩とは

18卒の就活解禁

 

3月に入って就職活動が解禁された。

街に溢れる就活生を見るたびに

僕は初めてOB訪問に行った時のことを思い出す。

とてもとても苦い思い出である。

 

僕の初めてのOB訪問

 

就活を始めた当初、とりあえず凄そうな企業のOBに会おうと思い

誰もが憧れる大手広告代理店に勤めているPさん(仮名)に

大学のキャリアセンター経由でメールを送った。

 

当時、平凡な学生生活を送っていたため 

社会人にメールを送った経験など無かった。

基礎のキも知らない状態でメールを送った。

 

”無知”ということは本当に怖い。

今となっては1日に50回くらい使う

『お世話になっております』という枕詞はもちろんない。

そもそもお世話になったことがないので

”お世話になっております”なんて発想が出てくるはずがない。

 

恐らく僕のメールは友人に送るLINEの文章に敬語をつけた程度の

相当ひどいメールだったと思う。

 

そのメールに対するPさんからの返信内容はこんな感じだった。

 

・社会人に送るメールにしてはあまりにも失礼すぎる

・まずはメールの打ち方くらい覚えたほうがいい

・会うのはいいけど忙しいから何を聞きたいのか明確にしてほしい

・HPでわかることは調べてから来てほしい

 

メールの打ち方を一切調べずに送っていたメールに対する

返事としては 至極まっとうな返事だった。

それでも初めてのメールでこんな返事が来たから僕は冷や汗をかいた。

 

返事したくないな・・会いたくないな・・いっそ無視しようかな・・

と真剣に思った。

もしくは「すみませんでした!」

とだけ返事すればその人と会うことは一生ないかもしれないとも思った。

 

散々だったフィードバック

 

それでもなぜか会いたかった。

それより”逃げたくない”という気持ちのほうが強かったのかもしれない。

 

僕は会うことを決意して

ビジネスメールの作法をネットで調べて

作った文章を先輩や友人にチェックしてもらい

謝罪の内容とそれでもお会いしたいことを伝えるメールを送った。

すると快く会ってくださることになった。

 

OB訪問の内容は細かく覚えていないが終始僕からの質問攻めだった。

会話の間をどうやって繋げばいいかわからず

とにかく矢継ぎ早に質問を続けた。 

 

「どうやって受かったんですか?」

「志望動機は何だったんですか?」

「学生時代に頑張ったことは何だったんですか?」

といった内容がメインで

その質問の仕方も相当ひどかったと思う。 

その後、自分の志望動機や学生時代に頑張ったことを話した。

 

結果的に僕は完膚なきまでにぼこぼこにされた。

曰く、他にOB訪問に来た就活生と比べて

思考が浅く、学生時代に頑張ったことのインパクトも薄い

とのことだった。

そして”絶対に受からない”と言われた。

その時は”なんでそこまで言われないといけないのか”と悔しく思った。

 

自己認知のきっかけ

 

正直、帰り道は結構へこんだ。

もちろんPさんは僕の人格を否定したわけではない。

あくまでも感じたことを話してくれただけだったのだが

ここまで言われたことはなかっただけに落ち込んだ。

 

でも結果的にPさんとのOB訪問は自分にとって大きなターニングポイントになった。

なぜならそれまで過大評価していた自分に対して失望したからである。

 

客観的な自己を認知するきっかけになったし

就活や将来に対する考え方が甘かったとも思った。

そして何より目指す理想と現実とのギャップに気づく機会になった。

 

真の自己分析の第一歩とは

 

現在の自分の状況を客観的に認知することは強い痛みを伴う。

なぜなら自分の理想と現実とのギャップに向き合わなければいけないからである。

ただ、これが真の自己認知であり、

また、正しい自己認知こそが、自己分析の一歩であると思う。

 

だからこそ今の就活生には

自分にとっては向き合いたくない真実も全て受け入れた上で

真の自己認知をするように心がけて欲しい。

これが社会人3年目を迎えようとする僕からのアドバイスである。

  

P.S.

この出来事は自分にとって大きなターニングポイントだった。

だからこそ就職活動を終えた際に

真っ先にPさんに内定報告メールを送ろうと思った。

就職留年をしたため2年越しでのメールとなったがすごく喜んでくれた。

 

 

地方出身者は就職で東京に上京するべきだ

東京ってほんまにいいな!

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先日、地元である神戸のサッカーチームで一緒だった友人と会った。

彼は今、フリーランスとしてマーケティングの仕事をしている。

新卒で愛知で働いた後、福岡でフリーランスとして独立し

今年の1月から東京に出てきたということだった。

東京に出てきたのなら久しぶりに会おう!ということになり

共通の友人を交えて、新宿で飲むことになった。

 

居酒屋の座席に着いて

「久しぶり」という言葉の次くらいに彼の口から

 

「東京ってほんまにいいな!」

 

という言葉がキラキラとした笑顔とともに出てきた。 

 

彼曰く、東京には福岡より仕事の案件がたくさんあって

困っているお客さんもたくさんいるということだった。 

そして何より、色んな人と会えて刺激的だということだった。

 

東京のなにがほんまにええねん。

僕は生まれ育った関西が大好きだ。

関西弁も関西人の口の悪さも飴をくれるおばちゃんもたこ焼きも大好きだ。

いつか関西に戻りたいとも本気で思っている。

だけど就職のタイミングで東京に出てきて本当に良かったと思っている。

愛してやまない愛犬を実家に残してきていることを差し引いても

まだしばらくは東京にいたいという気持ちが今のところ強い。

 

それでも

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という問いへの答えを明確に言語化できていなかったように思える。 

 

LIFE SHIFTを読んで感じたこと

 

最近、リンダ・グラットンのLIFE SHIFTを読んだ。

読み進めていく中で、

・なぜ就職のタイミングで東京に出てきたかったのか。

・いったい東京に出てきて何が良かったのか。

ということを自分なりに昇華できた。

 

LIFE SHIFTで書かれていることは

僕の友人が簡単に書評を書いているので見ていただきたいのだが

 

ameblo.jp

 

一言で言えば

”寿命が100年くらいに伸びたから柔軟に生きようや” である。

 

中でも”スマート・シティ”に関する記述を読んで僕の考えはすっきりした。

 

2010年、世界全体の都市生活者の数は36億人だった。

2050年にはそれが63億人になると見られている。

これは、毎週130万人が都市に移り住む計算だ。

都市で暮らすこと、とりわけいわば

「スマート・シティ(賢い都市)」に住むことを望む人が増えている。

この点は今後もおそらく変わらない。 

 

と書かれている。

インターネットが発達したことで物理的な距離の重要性が低くなり

好きな場所で働いて暮らすという流れが強くなっていて

”遠さの弊害”はさほど大きな問題ではなくなったが

質の高いアイデアと高度なスキルの持ち主のそばに身を置くことの

重要性が高まっているので

”近さの価値”はむしろ高まっているということだった。

 

なるほどと思った。

  

実際、就職を機に2年前に東京に出てきてから

社内の人だけではなく、社外の人と会う機会を多く持った。

毎週末、ほぼ100%といってもいいほど社外の誰かと会った。

東京ではベンチャーで働いている友人、他業種の友人、起業家など

本当に色んな人に気軽に会うことが出来る。

その経験が僕にとって非常に刺激的であり

視野を広げてくれているなとも感じていた。

 

これこそが僕が東京に出てきたかった理由であり、

東京に出てきてよかったと思うことなんだと気付いた。

 

これからどうするのか。

やっぱりいつかは東京から出たい。

今置かれている東京という恵まれた環境でスキルや知識、仕事での人脈

友人や家族との良好な関係、多様性に富んだ人的ネットワーク、

自分への知識、新しいことへの柔軟性

などこれからの時代に求められるものを獲得したい。

そしてそこで獲得したものを武器に関西に戻りたいと思っている。

人生100年時代、残りの75年間を思いっきり楽しみたい。

 

阪神・淡路大震災から22年

阪神・淡路大震災から22年

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1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災が発生した。

恐らく僕の記憶の中で最も古い記憶だ。

当時3歳だった僕は幼いながらも

”大変なことが起きた”と感じたことを覚えている。

 

地震が起きた時、僕はとても大きな音に気づき目を覚ました。

その瞬間、横で寝ていた父がとっさに覆いかぶさった。

僕は何が起こったのかわからないまま、机の下に逃げ込むように言われて

机の下で待機した。家族に怪我などは一切なかった。

僕が住んでいた神戸市西区は神戸の中でも被害が少なかった。

それでも食器棚の中の物が全て飛び出し、

テレビもテレビ台から転がり落ちていて、

重たいピアノもフローリングにめりこんでいたと聞いた。

 

自宅の窓から、被害が最も大きかった長田区周辺で上がっている

黒くて大きな煙が見えたらしい。

もちろん電車も走っていないので

父は通勤のため、方位磁針を持って自転車に乗り

まるで戦争中の焼け野原のような街を1日かけて通勤したそうだ。

 

しあわせ運べるように

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それから、当たり前のように地震の怖さを教えられてきた。

同時に命の尊さや絆の大切さを教えられた。

小学校では毎年1月17日が近づくと

授業の中で地震についての悲惨な映像を見たり、

被災された方が実際に学校にやって来て、当時の壮絶な話をしてくれたりもした。

本当に様々な地震教育を受けたが

中でも”しあわせ運べるように”という歌が印象的だ。

 

www.youtube.com

 

僕と同世代の神戸で育った人は誰でも歌えるだろうこの歌は

神戸の復興を願った歌である。

 

人生何が起こるかわからない

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僕は綺麗な神戸の街が大好きだ。

正確に言うと綺麗な神戸しか知らない。

被災している現場を自分の目ではほとんど見ていないし、

僕が物心が付いた頃にはもうすっかり綺麗な街だった。

 

それでもそれは当たり前じゃなくて

復興にむけてたくさんの方の支援や努力があったんだと思う。

そして生きたくても生きられなかった人たちが間違いなくいた。

 

東京にいるとつい忘れがちだけれども

故郷である神戸に思いを馳せた1週間だった。

これからも亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこうと思う