目黒で働いています

株式会社Carionsの山下です。

阪神・淡路大震災から22年

阪神・淡路大震災から22年

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1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災が発生した。

恐らく僕の記憶の中で最も古い記憶だ。

当時3歳だった僕は幼いながらも

”大変なことが起きた”と感じたことを覚えている。

 

地震が起きた時、僕はとても大きな音に気づき目を覚ました。

その瞬間、横で寝ていた父がとっさに覆いかぶさった。

僕は何が起こったのかわからないまま、机の下に逃げ込むように言われて

机の下で待機した。家族に怪我などは一切なかった。

僕が住んでいた神戸市西区は神戸の中でも被害が少なかった。

それでも食器棚の中の物が全て飛び出し、

テレビもテレビ台から転がり落ちていて、

重たいピアノもフローリングにめりこんでいたと聞いた。

 

自宅の窓から、被害が最も大きかった長田区周辺で上がっている

黒くて大きな煙が見えたらしい。

もちろん電車も走っていないので

父は通勤のため、方位磁針を持って自転車に乗り

まるで戦争中の焼け野原のような街を1日かけて通勤したそうだ。

 

しあわせ運べるように

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それから、当たり前のように地震の怖さを教えられてきた。

同時に命の尊さや絆の大切さを教えられた。

小学校では毎年1月17日が近づくと

授業の中で地震についての悲惨な映像を見たり、

被災された方が実際に学校にやって来て、当時の壮絶な話をしてくれたりもした。

本当に様々な地震教育を受けたが

中でも”しあわせ運べるように”という歌が印象的だ。

 

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僕と同世代の神戸で育った人は誰でも歌えるだろうこの歌は

神戸の復興を願った歌である。

 

人生何が起こるかわからない

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僕は綺麗な神戸の街が大好きだ。

正確に言うと綺麗な神戸しか知らない。

被災している現場を自分の目ではほとんど見ていないし、

僕が物心が付いた頃にはもうすっかり綺麗な街だった。

 

それでもそれは当たり前じゃなくて

復興にむけてたくさんの方の支援や努力があったんだと思う。

そして生きたくても生きられなかった人たちが間違いなくいた。

 

東京にいるとつい忘れがちだけれども

故郷である神戸に思いを馳せた1週間だった。

これからも亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこうと思う