銀座で働いていた163cm.

上京就職・転職を支援(サポート)するハトムネ起業家

3年前、僕が絶望から奮起した話

3年前のちょうど今、僕はインターンシップに熱中していた。

 

あの頃からもう3年経ったと考えると

感慨深かったので、3年前から現在を振り返ろうと思う。

 

就活落ちた日本死ね

僕は2014年卒と2015年卒で2回就職活動をしている。

2回、就職活動をした理由は

就職先が1社もなかった」からである。

世の中のどの企業からも僕は欲しがられなかった。

まさに”保育園落ちた日本死ね状態だった。

 

いや、正確に言うと「就職したい!」と思える企業からの内定がもらえなかったので

2014年卒の就職活動を切り上げて、2015年卒の就職活動に切り替えた。

 

1回目の就職活動に失敗した原因は、無知と過信である。

公務員の家庭で生まれ育ったことも有り、

就職活動をするまで、企業との接点をほとんど持っていなかった。

知っている会社といえばTOTOとグリコくらいだったように思える。

 

そして企業に勤めている人と仕事の話をしたこともなければ、興味もなかった。

ただ、将来は自由になってどこかの島で自給自足の生活をしたいという

よくわからない夢を描いていた。

 

サッカーライターを目指して

大学3年生の頃は、文章を書くことが好き × サッカーが好き

というびっくりするくらい浅はかな動機でサッカーライターを目指していた。

雑誌で見つけた高額なセミナーに投資をして、真剣に目指した。

 

しかし、5回目くらいの授業で

実際に記者をしている人の話を聞く機会があった。

そこで「記者は孤独だ」ということに気付いた。

 

6歳からサッカーというチームスポーツを続けてきた僕にとって、

仲間の存在は非常に大きい。

仲間がいたからこそ苦しい時も心が折れなかったことがたくさんあるからだ。

 

だから、社会に出ても組織で働いていきたい。

天才な僕はそんなことに気づき、早々にサッカーライターを諦めた。

高額なお金をどぶに捨てて・・・ 

 

就職活動に真っ向勝負を挑んだ

それから通常の就職活動に切り替えた。

 

しかし僕は、なんの根拠もなく、

どこでも受かるだろうと確信していた。

 

蓋を開ければ、無い内定

 

当然の結果だったと思う。

 

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敵を知り己を知れば百選殆からず

という孫氏の言葉があるが、

僕は社会にはどんな企業があり、どんな仕事があるのかも知らず

自分がどんな人間で何をしたいのかを考えてこなかった。

 

もちろん妥協して、探せば内定を出してくれる企業はあったかもしれない。

でも嫌だった。

 

以前、Facebookでも書いたことがあるが、

「これでいいや」という妥協をしたくない。

「ここがいい!」と思える決断をしたい。そう思っていた。

そのためには今すぐに自分の進路を決められない。

僕はもう1年、就職活動をする決意をした。

 

反対する人がほとんどだった。

 

「留年した理由を必ず面接官に聞かれて不利になる。」

「どこにも受からなかった人だと思われてしまう」

「そもそも、もう1回やっても同じ結果になる」 

など散々言われた。

 

けど気持ちは固かった。

親に謝罪し、留年の許可を得た。

 

敵を知り己を知れば百選殆からず

そして、迎えた2回目の就職活動。

僕はたくさんの人と会った。

東京に行き、大学のOBにもたくさん会ったし、

先輩や友人に紹介してもらい、

様々な業界の先輩や内定者にお話を聞いた。

 

たくさんの人に会いたいと思ったし、

自分のちっぽけさを思い知りたかったのかもしれない。

 

そして自分ともたくさん向き合った。

毎日毎日、友人と壁打ちをしていたことを覚えている。

 

そしていくつかの企業と縁があった。

その中から今の会社を選んだ。

 

3年たったいま、改めて思うこと

 

本当にこの会社を選んでよかったと思っている。

今の仕事は大変だ。

人に振り回されるし、

目標に迫られて苦しくなるし

逃げ出したくなることもあるし、

拗ねることもあるし、腹が立つこともある。 

 

それでも2年目になってやっと

本当に自分の仕事の価値を感じる瞬間も出てきた。

僕はラッキーだ。

 

世の中には失敗なんて無いし、

失敗だと思っても次に活かせばいいだけなんだと思った。

本当にあの時、遠回りをしてよかった。

そして色んな人と会って敵と己を知ることで選択肢を広げてよかった。

 

そんなことを思った1日だった。